英国2日目

やはり、朝早く4:30に目が覚める。
部屋から見える景色は遠くにライトが見えるものの、真っ暗。
が、が意を決してフロントに行き走れるところがないか、訪ねてみる。
「どこでも走れるよ。安全だし、照明も完備されている。」とのこと。
で、「お勧めのコースはホテルを出て、右へ行って、左。 キースリーまで走って戻ると丁度いいと思うよ。3マイル(=5キロ)。元気があれば帰りに、ロータリーを上に向かえば、ナイスハウスが沢山あるよ。住んでいる人たちがナイスかどうかは別だけどね(ウィンク)。」
で、5:50発。言われたままに走ってみる。たしかに街灯が完備され、歩道も走りやすい。適当なアップダウンがあり、豪邸から、アパート、市民農園など、薄暗いものの景色もあきない。
川を越える。丘陵地帯なので、流れは速く、瀬もあって、カヤックも楽しめそうである。急行列車が速い速度で通り抜ける。
で、そのまま走っていくと、図書館を越え警察署があって、Keighleyとかいてある。
でもたしか、キースリーと聞こえたんだけど。訛りが強いのか、私の耳が悪いのか。GPSが無いのが悔やまれる。
ここまで30分弱。よっぽど警察署で聞こうと思ったが、いい時間なので、ホテルに戻ることにする。立派なお宅の写真を携帯で。
ホテル近くのロータリーで坂を上ろうか悩んだが、時間もないので、直進。食事の開始が7時で、まだ10分位はある。そこで通り過ぎてから戻ることにして、7時ピッタリにホテル着。シャワーをすませ食事をして、8:30、お迎えの車に乗る。
ロータリーを上がって豪邸街へ。確かにナイスハウス。同時に歩いている人達の、とりわけ服そうから、ウィンクの意味が分かった。キリスト教徒からみれば、異教徒の人達が町にあふれている。聞けば、パキスタン系の住民が30%を越えていて、その界隈に集中しているらしい。運転をしているのは、これから訪問する会社の若手。口は重かったが、戦後直ぐにこの状態は始まり、子供の数がどんどん増えて、英国籍を持つ2世も多いようだ。しかし、宗教も異なることから、交流は少ないようだ。こういった事例は、ほぼ、単民族から形成される我々にはわかりにくい。かつて、ドイツでは労働者不足を解決するために、トルコから労働力を「輸入」した。
しかし、その後、その「動労力」は増えすぎて、最後には、金一封を渡して、「労働力」に帰ってもらった、という苦い歴史を持つ。日本も近い将来、高齢化社会の税負担を和らげるために、若手労働力の確保に努めるだろう。我々はどんな社会に突入するのだろう。
Keighleyの件も聞いてみた。ケイリーとかケイフリーとかいう地名があるって聞いたら、それはキースリー(thです)だという。例外的にそう読むのだそうだ。うーん、どうしてghがthの発音になるのだろう。
この後、2件訪問。太陽が低いから虹が見えた。
さらにその後、ウチのイルクレー事務所に立ち寄る。駐車場にはロールスロイスやノーマルのポルシェ911数台にカレラなど。数億円の車。
以前は数百人いた同僚たちも今では30人程度と大幅に減少。開いた事務所を貸し出していて、そこの人達の車のようだ。ハイムテックスで一緒だった同僚と再会。ラボ訪問など。
2時間ほどで、事務所を後にして、マンチェスター空港脇のホテルへ。
ホテルのパブで一杯。当然、シーザーズサラダ。これがメチャまず。
俺はウサギじゃない!量も極小。(メインディッシュとして注文したのに!)皆が同情して、デザートを勧めるので、デザート。こちらは山盛り。600kcalはとれただろうか。
明日は7時にチェックアウト。皆8時には部屋に戻った。
無線LANによるネットは通じたが、充電がうまくいかず、アップロード断念。

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